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名古屋地方裁判所岡崎支部 平成元年(タ)13号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 樋口明

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 村瀬武司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(甲)  申立

(原告の請求の趣旨)

一  原告と被告を離婚する。

二  被告は原告に対し、金五〇〇万円を支払え。

三  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の不動産の二分の一の持分を分与せよ。

四  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の不動産の持分二分の一につき財産分与を原因とする持分移転登記手続をせよ。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

(請求の趣旨に対する被告の答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

(乙)  主張

(原告の請求原因)

第一  原告と被告は昭和三五年四月一二日婚姻し、二人の間には昭和三五年一二月四日長男一郎が、昭和三七年一月一四日長女春子が出生した。

第二  一1 原告は被告と結婚以来二九年もの間、被告の社会性、柔軟性、協調性のない性格のため常に我慢を強いられてきた。

被告は何事に対しても、自分本位で、かつ自分の都合に合わせて事実を曲げてとらえる。また、人に対する思いやりとか優しさをあまり持ち合わせていない。

そして、自分の主張を通すかと思えば、一方ですぐに判断を変え、家族や周りの人間を振り回すことを平気で行う。

また、暴力を振るうこともしばしばあり、自分の思い通りにならなければ、それらをすべて周りの人のせいにして口汚く罵る。

被告の暴力はかなり執拗なもので、原告が気を失って倒れるまで殴りつけ、それに水をぶっかけるというようなもので、また、長男の一郎に対しても口答えというより意見を言っただけで一郎の指に噛み付き血が出るまで振り回したこともある。

原告は被告から青アザができる程の暴力を受けても医者へは行っていない。これは医者へ行くほどの怪我ではないからではなく、夫の恥を世間にさらしてはいけないという配慮からである。

2 結婚当初から原告夫婦は被告の父親と同居し、また近くには被告の姉などが住んでいた。被告の親戚が何かにつけて原告らの生活に干渉し、また被告がしばしばその父と喧嘩をするなど原告としては毎日喧騒の中で暮らしているような状態であった。

また、原告が病気で寝ていたりすると、被告は原告の体を心配するどころか楽をしていると罵るような有様であった。

そして、昭和三六年ころには原告は八ケ月の身重の体で睡眠薬を多量にのんで自殺を図るほど追い詰められるほどであった。

3 被告は身内に対してばかりでなく、仕事上で所属する組合関係の人や隣近所の人に対しても、自分本位の態度をとり、もめごとを起こしたり、口汚く罵ったりする。

4 原告が仕事上のことや家庭内のことについて少しでも円満にいくようにと思って被告に対し意見を言うと、被告は常々自分が原告らを食べさせてきたのに文句があるかというようなことをくどくど言い、原告の意見などまったく聞き入れようとしない。

5 子供が小さい頃、原告が夜中病気の子供を看病している時なども、被告は原告に対し文句を言うばかりで原告に協力することもなかった。また、父親として子供を可愛がるというのでもない。

長男が交通事故にあった時には、被告は一方的に原告を責め立てた。原告が針仕事をしていて長男に目が届かなかったにも拘らず、被告は原告が昼寝をしていたなどと勝手に決めつけ、原告を罵った。

6 また、長男の就職に関しても、被告が怪我をした時に会社を辞めさせて自営業を手伝わせ、長男がその気になって頑張ってきた頃には何かと文句を言い、「お前にこの仕事を継がせる気はない。」などという始末である。

こうした被告の態度に子供達も被告を見限り、長男も長女も家を出て自活するようになった。

子供は客観的に両親を見ているのである。その子供が二人とも被告である父親を見限って家を出ているのである。このことは被告が共同生活のできない人物であることを示しているに他ならない。

7 そして、昭和六三年八月頃、被告は原告に対し、「お前は役に立たない。代わりに人を雇うからその給料分を稼いでこい。お前と一緒にやっていく気はないから出ていけ。」と言うに至った。事ここに至り、原告は我慢の限界を越え、覚悟を決めて家を出て別居するに至った。

二 本来夫婦とはお互いの人格を認め合い、相手を思いやってこそ成り立つものである。

被告は婚姻以来三〇年近く、日常の家庭生活も、仕事上のことも全て自分本位に行動し、原告の人格を無視し、執拗な暴力を振るい、いちいち些細なことに文句をつけ、くどくどと苦情を言い、しばしば「出て行け。」と怒鳴ったり、「お前がいると損をする。」と、いわゆる「いじめ」のように妻を妻とも思わない言動を繰り返してきたのである。

社会人として立派な人物であるからといって、夫として普通とは限らない。世の中の社会的地位のある人でも夫婦の関係では様々な問題が生じ、離婚に至ることはいくらでもある。離婚問題は表面だけで判断されるべきではない。むしろ、被告が隣人などとうまくやっていけないという事実が示すように、被告は人間関係においては大きな問題を抱えている人物である。毎日一日中顔を突き合わせている本件のような自営業の場合、被告は夫として妻の人格を認めて、普通にしていれば家族は心安らかに毎日を送れるものである。ところが、被告は自分本位な行動をとるため、毎日びくびくしている家族の精神的苦痛は大変なものである。大きな暴力や女性問題を起こすことだけが精神的苦痛を与えるのではなく、日常生活の些細なことに対してことごとく文句を言い、しつこく追及し続けることは一種の拷問である。

原告が離婚を決意したのは「女性が目覚めた」というようなことではなく、また現在の風潮にあるような「熟年離婚」のようなものでもない。原告が自分の利益を考えたとき、思いやりもなく「お前たちがおるで、俺は損をしている。」と言って憚らない人間と暮らしていけないと考えたからである。今までは体力にも自信があり、根気もあれば忍耐もできるが体力も衰え、根気も気力もなくなっていく将来を考えた時、びくびくすることなく静かに安心して暮らしていきたいと考えるのは自然な考えである。年を取って体力もなくなったからこそ夫婦が頼り合っていけるのは夫婦仲が良く、これまでお互いを思いやって来た夫婦に言えることである。被告にはそれがないからこそ家族がばらばらになったのである。家族が被告に愛想をつかし、皆家を出てしまうような事態になったのは、被告が妻の人格や、子供の人格を認めず、自分が専制君主のように振る舞ってきたからである。

三 原告は子供が成人した今、残りの人生を今までのような忍耐のみを強いられるのではなく、自分に正直に心安らかに過ごしたいと願ってやまない。原告は被告と別居して長男のもとで暮らすようになって初めて心の安らぎを感じたのである。

以上のとおり、原告と被告間には婚姻を継続しがたい重大な事由が存在し、かつ婚姻関係は事実上破綻しているので、原告と被告との離婚を求める。

第三  原告は被告との婚姻生活中、堪え難い精神的苦痛を被ったので、慰謝料として金五〇〇万円を請求する。

第四  現在、被告は別紙物件目録記載の不動産を有している。いずれも原告との婚姻中夫婦で築いた財産である。

原告は主婦だけでなく、被告の経営する自動車修理業の経理や下働きとして手伝ってきたものである。夫婦二人の個人事業において妻が協力しないで事業が成り立たないことは常識である。しかも、原告は自ら保険代理業務の資格を取り、二〇年以上に亘って保険の代行の仕事をしている。原告は共同経営者というべきである。

したがって、離婚に伴う夫婦財産の清算である財産分与としては別紙物件目録記載の不動産の二分の一を原告に分与するべきである。

よって、その分与と財産分与を原因とする持分移転登記手続を求める。

(被告の答弁)

第一、一 請求原因第一項を認める。

同第二項一1ないし7を否認する。原告が「家の仕事を手伝うのは嫌だ。」と言ったので、被告はやむなく「それならよそで働け。」と言っただけで、「出ていけ。」などとは言っていない。

同項二を争う。

同三項を争う。原告は一方的に家を出て別居し本訴を起こしたもので、むしろ被告の方が多大な精神的苦痛を感じており、被告の方が被害者である。

同第四項を争う。原告は昭和五〇年頃から被告の仕事を手伝うようになったに過ぎず、被告の営業財産蓄積についての原告の貢献度は若干に過ぎない。

第二、一1 被告は昭和二六年三月中学卒業後自動車修理見習工を振り出しに、甲田市内の乙山モータースに自動車修理工として働き、昭和三一年一一月一二日普通乗用自動車、三輪自動車の各二級整備士の資格を得、本籍地の一角を利用して甲野モータースの名称のもとに自動車整備事業を開始し、昭和三五年四月一二日原告と婚姻し、両親と共に住みつつ右の営業をしていた。その後昭和三六年七月愛知県乙田市《番地省略》で家屋を借りて移転し、右営業を続けた。

2 右自動車整備事業は年毎に成績を上げ、従業員も通勤者三名位を雇い、収入も高まり、昭和四〇年頃には現住所の土地を購入し、その後同所に工場住宅を建て、昭和四二年秋頃に被告ら家族全員が転居し、同所にて甲野モータースなる商号のもとに自動車修理、整備、販売などを手広くなし、現在に至っている。

3 被告は右自動車整備事業を興してより、仕事一筋に生きてきた技術者、営業人で、朝八時頃より仕事場に出て、夜は八時ないし一〇時頃まで残業をするなど仕事に徹し、顧客に良好な整備等を提供し、以て顧客の要望に応え、年々信用を得て業績を伸してきたものである。

右のように被告は仕事一筋の人間で、日常生活は極めて真面目で、女性関係は全くなく、競輪競馬なども一切しないし、組関係もなく、前科も一切ない。これまで原告との間で時には些細なことで口論などはあったにしても、原告に対して理由なしに乱暴を振るったり、また侮辱罵倒などを加えたこともない。

二1 原告が昭和三五年四月一二日被告と婚姻してより、昭和三五年一二月四日に長男一郎が、昭和三七年一月一四日に長女春子が各出生し、原告は家庭の主婦として家事育児などに当ってきた。なお、一郎は昭和五三年に名古屋市内の丙田高校を卒業、春子は昭和五七年頃三重県下の短大を卒業し、それぞれ社会人となっている。

原告は昭和五〇年過ぎ頃より被告の業務を手伝うようになったが、その仕事の程度は顧客に対する請求書の発送、集金が主なもので、これを昭和六三年頃まで行なっていた。原告の営業の関与はほんの一部に過ぎず、また営業資金は全て被告が出していたものである。

2 原告は短気で、気が強く、気にそわないとちょっとしたことでもすぐ怒り、ふくれあがってものも言わないようになる気質を持っており、これまでこのような事態がしばしばあったが、被告はこれに辛抱してきたものである。

3 被告は昭和五九年に追突事故に遭遇し、二ケ月半程入院し治療を受けたことがあるが、殊にこの頃より原告は極度に短気となり、自己中心的になって被告にあまりものを言わないようになった。

4 原告はその後昭和六三年八月一九日被告に対し「家の仕事を手伝うのは嫌だ。」と勝手なことを言うので、被告は原告に「それならよそで働け。」と言ったところ、原告は勝手に家を出てしまい、その後は別居状態にある。これも原告の短気、自己中心的な性格によるものである。

なお、原告は右家出の際、被告の預金一一〇〇万円を無断で持ち出している。

5 なお、被告は昭和六二年頃には被告がこれまでに取得した土地上に居宅を建築しようとしてその製図、資金の借入れ、建築の見積などの手立てをしたが、原告からその建築に気のない返事をされ、結局建築が中止となってしまった。

また、被告は昭和六三年六月頃には原告を含む家族全員の生活の安全のため県民共済に加入したが、その後の原告の家出などのためこれも途中で中止となってしまった。

三 別紙物件目録記載の不動産はいずれも前記自動車整備、修理、販売の営業を通じて昭和四〇年頃より昭和五八年頃までに被告が購入したものであり、被告の所有である。ただ、昭和四四年に取得した土地は原告との共有名義となっているがこれは名目のみでその実質は被告所有のものである。

四 以上のように、被告はこれまで家族の支柱として自動車整備事業を興し、これを真面目に経営し、この収入に基づいて一家は安泰に生活してきた。

被告は技術者として真面目過ぎ、且つ固い面もなくはないが、常々家族全員のため居宅を作り、また家族の生活の安全も願って県民共済も積極的に加入しようとしたものである。

しかるに、原告は婚姻生活約三〇年を経過し、ここにおいて気の強さ、自己中心的性格から自分自身の第二の人生を勝手に夢見、些細なことに立腹し文句を言って対立し、その上被告の預金一一〇〇万円を勝手に持ち出して家出をし、一方で長男長女に常々被告の悪口を言いふらしてこれを自己の味方に取り入れるなどして、被告を孤独に陥れ、ひいては離婚の申立てをするに至っている。

そもそも、婚姻生活、家族生活は対第三者的生活とは異なり、互いに遠慮のない面もあり、時に些細な口論があることもあるが、これは互いに受忍すべきことであり、互いの努力で改善すべきものである。

被告は、原告との婚姻の継続を願っており、これまでに知人数人を通じて被告のもとに「帰ってきてくれ。」と申し入れており、また被告自身「反省すべき点は反省する。」と誓っているところである。

本件はこれまでの原告被告間の生活関係全体を通じて、被告にその意に反して離婚を強制する事由は存しない。原告の帰宅、話合いがあれば充分に婚姻の継続は可能であり、またこれまで約三〇年間夫婦として生活してきたこと、二人の子供を有することなどから婚姻を継続させることが原告被告両名の為にも客観的に相当であり、婚姻関係は破綻していないと言うべきである。

(丙)  証拠《省略》

理由

第一  請求原因一項の事実は《証拠省略》によってこれを認める。

一  《証拠省略》を総合すると、原告と被告との婚姻生活の経緯については、

1  被告は中学校卒業後、約二ケ月間自動車修理見習工として働いた後、愛知県戊田市の丙川モータース、愛知県甲田市の乙山モータースなどで自動車修理工として働くうち、昭和三一年二級自動車整備士の資格を得、同年九月自宅において甲野モータースを開業、昭和三二年には自動車整備工場の認定を得るなどして苦労し、昭和三五年原告と婚姻したものであること、

2(一)  原告と被告との婚姻当初の生活は、六畳一間の住居で、後ろの部屋を壊して車一台が入れるようにしただけの自動車整備事業であって、同居していた被告の父は近隣の義姉の畳も敷かないような粗末な家に行って寝泊まりをする状態であった、

(二) 被告は昭和三七年近隣の工場跡を借り受け、一部をベニヤ板で覆い、住居として転居した、

(三) しかし、昭和三九年頃、国庫金三〇万円を借りて八〇坪ほどの土地を購入したのを始め、昭和四二年頃土地を買い換えるなどして工場を作り、一部を仕切って住居とし、二階に三人の従業員を住まわせるなどし、

(四) 昭和四〇年には現住所の土地を購入し、その後同所に工場兼住宅を建てて昭和四二年頃同所に移転するに至ったこと、

(五) 右精励の結果、現在原告と被告は別紙物件目録記載のとおりの不動産を取得するに至っていること、

3  被告は右のとおり自動車整備事業を興してより、朝八時頃より夜八時ないし一〇時頃まで自動車の修理、販売、整備などの仕事に精励し、顧客の要望に応え着々とその信用を得てきたものであって、仕事一筋の人間であり、日常生活は几帳面過ぎるほど真面目で、その間女性関係はなく、競輪競馬に凝ることもなかったこと、

4  原告は長男長女が出生してからは家事育児に専念していたが、昭和五〇年頃より請求書の発送、集金、保険関係など被告の業務を手伝うようになったこと、

5  長男一郎には昭和五六年暮れから昭和六二年七月頃まで後継者にしようとして手伝わせたことがあること、その間一郎は昭和五九年頃三級整備士の資格を得たこと、

6  昭和六三年八月原告は家出をし、長男一郎の許に身を寄せていること、

7  現在は長男も長女も家を出て、それぞれ独立していること、が各認められる。

右原告が家出する昭和六三年八月までの約二八年に及ぶ婚姻生活の経緯を検討すると、被告は中学校卒業後は赤貧の時代を脱却しようとして自動車整備工として身を立て、それを生計の手段とすることに決め、一途にその道をはげみ、原告との婚姻当初も苦労をかけさせながら自ら興した自動車整備事業について仕事に精励し次第に顧客の信用を得て、現在では別紙物件目録記載の土地建物に工場の他一家の居を構えるなどして多くの不動産も取得し、やっと人並に経済的に余裕のある生活を得るに至ったことが認められるのである。

二  しかしながら、その仕事一途の過程の中で被告は家庭の在り方を省みることが少なく、性格的に社会性や柔軟性がなく、几帳面で口やかましく、仕事上は細かい点まで気が付く面もあって、仕事を手伝わせた長男一郎に対しては後継者を育てようとするあまりこれにきつく当り過ぎた面や、近親者との付き合いを軽視してきた面もあり、蓄積してきた資産は自分の尽力によって得たもの、即ち被告個人のものであると考えがちであることは《証拠省略》によって窺われ、これは否定出来ないところである。

原告が陳述書の中で、(イ)原告がホイルのボルトの締め付けを手伝う際、「それは済んでいる。」とちょっと意見を言うと「黙っとれ。人がちょっと手伝わせるとお前は面白くないのだろう。お前は自分の思うようにならないと、すぐふくれっ面しやがって。」などとすぐ怒り出すなど原告や家族に対して怒鳴るなど言葉遣いが荒いとか、(ロ)被告の時間が当てにならないとか、近隣の者ともすぐ喧嘩になるとか、事故で入院しても原告の薬を飲むようにとの忠告も聞き入れないなど被告の性格の一端を原告が述べていることや、また証人甲野一郎も被告は原告や家族に対して思いやりがなく、自己中心的で、仕事の手伝いをする際、意見を言うと「偉そうに、口答えするな。」と言って足蹴にし、血の出るほどの殴り合いになったことがあるなどと供述しているのは右の証(あかし)であると言わざるを得ず、このような被告の態度は決して褒められたものではない。

三  しかしながら、被告は、(イ)右ボルトの締め付けは当時被告が事故による治療を受け、退院直後のことで苦労して取り付けていたものであった、(ロ)原告の弟の結婚式の時間に遅刻した点はぎりぎりの時間まで仕事をしているのだからある程度仕方のないことであった、(ハ)薬の点は体に合わないので、自然に治すようにしているとか、(ニ)仕事の基本は些細なことから始まるが、一郎は基本を考えないで何度やっても定着するところがないので、「考えてやらないからだ。」とか意見を言うとすぐ反抗し怒り出す、また一郎の運転は乱暴で、交差点で一時停止を怠り事故を起こし、重傷を負ったほか、追突事故を起こしたのに、夜は濃いサングラスを掛けて運転するので注意しても聞き入れるところではなかった、(ホ)たまに仕事を手伝わせようと原告を呼びに行くと、テレビを見ながら寝転んで煙草をふかしたり、コーヒーを飲んだりしている、二、三度呼ぶとやっと被告を睨み付けるようにして動き出す、こういう時原告は屁理屈を言いふくれあがる、旅行などで家を出るとき原告はほとんど支度をしてくれない、などと陳述反論書で反論している。

第二、一 戦前の家制度で男尊女卑的な家父長のもとに妻や子供が忍従を余儀なくされた頃とは異なり、戦後の家族制度は、婚姻は両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本にし、同居し、互いに精神的にも身体的にも経済的にも協力し、扶助しなければならないのであって(憲法第二四条第一項、第二項、民法第七五二条参照)、婚姻前からの特有財産および名実共にその一方の特有財産と見られるもの以外は、夫婦の共有財産とされ(民法第七六二条第一項、第二項)、夫婦は婚姻から生ずる費用を分担する(民法第七六〇条)とされている。つまり、男女は人間としての価値において平等であり相互の愛情と思いやりから協力し、維持していくことを理想として掲げていると思われる。

二 家族の社会生活における意義を見るに、テンニースという学者は、社会をゲマインシャフト(共同社会)とゲゼルシャフト(利益社会)とに分けている。ゲゼルシャフトとは会社とか学校とか組合のように、人がある目的のために結び合う社会のことで、そこでは人々はその目的のために結びつくのであって、一面的である。ゲマインシャフトとは村落とか家庭のように人々がそれ自体で結び付き、無目的に結合している社会で、そこでは全人格的に人々は結び付く。その典型は家庭である、というのである。

家庭は、もといろいろな機能を果たしてきた。生殖は勿論、生産も教育も娯楽も全て人々は家庭に求め、そうすることで落ち着きを感じとってきた。安楽の地が家庭であり、人々は家庭に安住しているだけで充分生活していけた。

しかし、現在、そのような機能はほとんどがゲゼルシャフトに奪われ、家庭は生殖と睡眠とかいった数少ない機能しか果たしていない。しかも、ゲゼルシャフトの要求は次第次第に家庭というゲマインシャフトに対して強く迫り、人々は休息の場さえ奪われ兼ねない。家庭は構造的にも夫婦と未成年の子で構成されるようになり、いわゆる核家族化される傾向にあり、ときとすればゲゼルシャフトの要求に抗し切れない場面すらある。

しかし、家庭の果たす役割はやはり重要であると言わざるを得ない。ゲゼルシャフトの場でいろんな働きをして、精神的にも肉体的にも疲れ切った人々はやはりその休養を家庭に求めるのであり、憩いの場、慰めの場、思いやりの場、人間らしさを取り戻す場は家庭をおいて他にはない。人間は、所詮個々としては一人の人間だけではとても生きていけない。その人生において困窮した時、疲れ切った時、難関に直面した時、やはり身近に話し合いや慰めの場を持ちたいと思うのであり、そうした最後の砦が家庭であるといってよい。

三 従来、主婦の持つ家事労働はきついものであった。しかし、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代にかけて、電気炊飯器とか、洗濯機、掃除機などの家庭電気製品などいわゆる家庭における三種の神器が一般家庭に入り込み、主婦は過酷な家事労働から解放されたと言われている。余暇ができた時人々は考える。殊に、女性は夫や子供達とのこれまでの来し方を振り返り、反省し、将来の自由な世界を夢見る。熟年離婚などはその現代的傾向と見られる。

しかし、人間は飯を食っていかなければ生きていかれないのも当然である。その家庭の経済的基盤を堅固にするのが一般的に男性の役割であったとすると、この必要条件から逃れることは容易ではなく、女性の関放に比べて男性の関放は生易しいものではない。経済的な糧を得るには大抵の場合、人はゲゼルシャフトに依存する。そこでは目的的合理性、ピューリタン的な節約の論理、技術の熟練性などゲマインシャフトにおける情緒的、牧歌的な原理とは異なる厳しい論理が支配する。多くの男性はこの両方の生活分野の使い分けが不得手であり、ゲマインシャフト的な世界から目覚めた女性からの攻撃、すなわち妻達からの熟年離婚の要求を突き付けられて困惑するのは、厨房に余り入ったことのないこの男性達なのである。これから先、身の回りのこと一切は不慣れであるが、すべて自分でやって行かなくてはならない、しかし、その自信はない、といった現象が生じている。

右の事態を防ぐには、相互に、一番身近な異性としての相手の人格を尊重し合い、趣味趣向など相手方の領域を認め合い、生活の面で役割分担があっても足りないときは何時でも助け合い補充し合うと言った工夫、また平等の立場で最も身近な最良の異性友達として付き合って行く方法を、殊に男性側にとっては考え直していかなければならない。

第三  ところで、前記第一項二および三で検討した相互の弁解を見るに、夫婦間や親子のいざこざは主として被告の仕事に関連して生じていることが理解される。若い時から叩き上げて自動車整備士として熟達した被告にとっては、若い長男一郎の仕草はまだるっこいことであるし、素人の原告の手伝いもじれったいと感じた結果、几帳面な性格があいまって妻や子に厳しく当たったことは被告にとって反省すべき一資料というべく、自動車整備における仕事は殊に車がともすれば走る凶器と化すものであるから細心の注意を配って完全性を期して几帳面に事をなし、顧客の信頼を得べきであるが、殊に被告のように仕事場と家庭とが同一場所に存在している場合は即座にその頭の切替が必要であって、家庭団樂の場に直ちに溶け込む努力が必要となってくるのであって、これも被告の反省すべき一資料となってくる。そもそも、赤貧の時代から身を興し、ひとかどの自動車整備事業を築き上げた被告の尽力は良しとしようが、これは決して被告独自の努力ではなく、その背後には原告が現在まで、まがりなりにも家庭を支えてきたという結果として表面に現れない効果があるから被告が仕事に専念できたものであり、言いかえれば表となり裏となり原告の影の助力があったからこそ築き上げられたものであることに思いを巡らせば、家事育児、請求書の発送、集金などの助力は決して過少評価されるべきものではないから、決して別紙物件目録記載の不動産などの資産や営業資金は被告が出したものであるから被告個有のものであると言うべきではなく、前記のとおり名実を問わず夫婦の共有財産と考えるべきであり、食わしてやっているとか、被告の預金を持ち出して原告が家出したという被告の考えは改めるべきである。自動車整備事業が軌道に乗り経済的には安定した現在、被告としては前記の諸点を充分に反省し、性格を見直し、仕事の面より、むしろこれから先の家庭の幸福と安泰の方に目を向けるべきであろう。以上は要するに、ゲゼルシャフト的な生き方をゲマインシャフト的な家庭生活に持ち込んだ被告にその失敗があると見られるのであって、訴訟継続中、ひとかどの身代を真面目に作り上げた被告が法廷の片隅で一人孤独に淋しそうにことの成行きを見守って傍聴している姿は憐れでならない。

また一方原告は、被告が暴力を振るうとか、原告を罵るとか供述し、「一旦脱いでしまった靴は二度と履いて歩く気はしない。」と言う。その言葉は聞こえはいいが、《証拠省略》による被告の態度も散発的であって、常時被告がそのような乱暴な態度を採っているとは受け取れず、安泰な生活ができるのは被告が仕事に精を出したためであるとして、たまに仕事を手伝わせようと原告を呼びに行くと、テレビを見ながら寝転んで煙草をふかしたり、コーヒーを飲んだりしている。二、三度呼ぶとやっと被告を睨み付けるようにして動き出す、こういうとき屁理屈を言いふくれあがる、旅行などで家を出る時原告はほとんど支度をしてくれない、などという被告の反論には耳を傾けるべきである。原告は自由を求めるのならそれなりの自己の生活と行動について独立した責任を覚悟すべきである。長男長女が家を出た動機は今ここで問わないが、右二人が独立した現在、子供達は親許を離れてそれぞれ独立の生活を永年に亘ってこれから営んでいくものであるから、原告としてもいつまでも子供の処に身を寄せる安易な態度を改め、速やかに子離れをするべきであり、被告とよく話し合い、これまで約二八年間喜びも悲しみも幾歳月被告と共に築いて来た家庭生活を改めて構築していく努力が必要である。以上は要するに、ゲマインシャフト的な生き方をゲゼルシャフト的な行動しか知らない被告に要求しようとした原告にも性急な面があると言わざるを得ない。

現在原告と被告との婚姻関係はこれを継続することが困難な事情にあるが、なお被告は本件離婚に反対しており、原告に帰ってきてほしい旨懇願しているのであって、原告と被告は子供達がそれぞれ独立した現在老後を迎えるべく転換期に来ていると言えるところ、被告が前記反省すべき点を充分反省すれば、いまなお原告との婚姻生活の継続は可能と考えられるから、原告と被告、殊に被告に対して最後の機会を与え、二人して何処を探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認め(民法第七七〇条第二項参照)、本訴離婚の請求を棄却する次第である。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 宗哲朗)

〈以下省略〉

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